2026年1月25日日曜日

坂を登るたびに時間がずれる

東京駅から秋葉原まで、リュックを背負ったまま走った。

そこからさらに四谷のホテルまで走ることにした。距離にして八キロほどだ。目的地は決まっていたけれど、急いでいたわけではない。ただ足を前に出し続けていれば、いつかは着く。走るという行為は、だいたいいつもそういうものだ。


途中、市谷を通った。

その地名を見た瞬間、身体の奥にしまい込んでいた何かが、軽くノックされるような感覚があった。


僕は大学受験を一度で終わらせることができなかった。だからこの街の駿台予備校に一年間通った。もう二十年以上も前の話だ。

はじめて親元を離れ、寮で暮らし、友達と同じ時間を過ごした一年は、今思えば驚くほど密度が高かった。けれど人は、たいていのことを忘れる。濃かったはずの時間ほど、案外あっさりと風化してしまう。


予備校は坂の上にあった。

それだけははっきり覚えている。


市谷駅から坂を登った。ところが、道は行き止まりだった。

「あれ?」と思った。

移転したのか、廃校になったのか。そんなはずはない。裏口へ続く坂は、確かにこの道だったはずだ。そう思いながら別の坂を登ってみるが、なかなか辿り着かない。


やはり、もうないのだろうか。

そう諦めかけたとき、予備校はあった。


意外と登るものだな、と思った。

校舎を少し離れた場所から眺め、正門の方へ回った。そうか、たしかにこんなふうに、回り道をして登っていた。記憶は歪んでいたけれど、坂そのものは変わっていなかった。

あんなに毎日通っていたのに、行き方がわからなくなる。

時間というのは、そういうふうに人の中で整理されていくのかもしれない。


駅前のエクセルシオールと本屋はまだあった。

校舎のふもとの富士そばも、モスバーガーも、マクドナルドも、ルノアールも、二十年前のままだった。

それ以外のものは、たぶんいろいろ変わっているのだろう。でも、何が変わったのかは、もうよくわからない。


走りながら、ノスタルジックな気持ちを抱えていた。

それは後ろ向きな感情というより、過去を確認するための軽い作業のようなものだった。

八キロを走り終え、ホテルに着いたとき、僕は少しだけ、自分の時間の輪郭を掴めた気がした。

2026年1月10日土曜日

脂肪で走る準備をする

 


今日から、ケトジェニック週間を始めることにした。
3月のハーフマラソンに向けて、いよいよ食事を本格的に整えていく。

昨日までは、血糖値の実験という名目で、いろいろなジャンキーなものも口にした。
甘いもの、精製された炭水化物、わかっていて食べる背徳感。
それらはすべて、もう終わりだ。
実験は終わった。今日からは、食べない。

朝は、バターコーヒー。
黒い液体の表面に、ゆっくりと溶けていく脂肪の輪を眺めながら、体を目覚めさせる。
糖ではなく、脂肪で走る準備を始める合図のようなものだ。


昼は、味噌汁。
最近はそこに、オリーブオイルを静かに垂らす。
発酵と油脂。
質の良い動物性脂肪と植物性脂肪を、必要な分だけ。
炭水化物は、限りなく削ぎ落とす。

3月までに、身体はどう変わるだろう。
体重が落ちるかもしれない。
走りが軽くなるかもしれない。
あるいは、思ったほど劇的な変化はないのかもしれない。

それでもいい。
数値よりも、感覚を大事にしたい。
朝の目覚め、走り出しの一歩、呼吸の深さ。
その一つ一つを、確かめながら進んでいく。

糖を減らし、脂肪に任せる。
急がず、焦らず、淡々と。
3月のスタートラインに立つとき、
今とは少し違う身体で、そこに立っていたら、それでいい。

今日から、始めた。


2025年12月23日火曜日

HIIT(High-Intensity Interval Training)開始

寒いから、身体をあたためてやろう、という目論見もある。布団から出た瞬間に、それが正解だったのか迷うくらいには寒い朝だ。

3か月後には、もうハーフマラソンを走らなきゃいけない。けれど、十分な時間がとれない日が続く。そこで思いだしたのが、HIITだった。

HIITは、高強度インターバルトレーニング(High-Intensity Interval Training)の略で、短い時間に、あえて息が上がる動きを繰り返す運動だ。長く走れなくても、心肺だけは確実に起こせる。

6分間、12セット。寒さで固まった身体に、「とりあえず起きろ」と直接言い渡す感じがある。ストーブよりも、ずっと正直に身体は温まる。

時間がないからやる。寒いからやる。走れない日が続くから、やる。

今日一日の下準備は整った。

さて、本日のカルテ整理をはじめよう。


2025年12月15日月曜日

河口湖の空はなにも間違えてはくれなかった

富士山チャリティマラソン11㎞を、7年ぶりに再会する親友との待ち合わせ場所にした。
それは、ごく自然な流れだったように思う。

天気は予報通りの雨だった。
河口湖の空はなにも間違えてはくれなかった。

二人とも河口湖周辺の駐車場を取り忘れていた僕らは、家族に応援してもらうのをあきらめ、友達の車で二人だけ早朝にホテルを出て、河口湖駅の二つ手前の富士山駅に車を停めた。

駐車場がなかなか見つからず、電車に間に合うかどうか、40歳にもなる大人二人が見知らぬ地で焦る時間が続いた。友達の卒業旅行がてらに二人で行ったフィジー旅行を思い出した(準備不足で焦ってばっかだった)。

雨がっぱもなかった。
コンビニで買ったゴミ袋に、頭と片腕分の穴をあけて被った。
奇妙な姿だったが、選択としては正しかった。

スタートしてから、それを脱ぎ捨てたときにわかった。
ゴミ袋は、驚くほどあたたかかった。
雨をはじき、熱を逃がさない。
厚さ0.1mmの、人生でいちばん信頼できる防寒具だったかもしれない。

最初の5㎞は並んで走った。
友達はアップルウォッチの電源が切れていて、1㎞ごとに僕がペースを伝えた。
7㎞あたりから、少しずつ友達の背中が遠くなっていった。

ただ、これまでのレースではくじけていただろうタイミングで、今回はくじけそうなとき、前に友達がいるというだけで、足が出た。

30mほどの差で、友達が先にゴールした。
なんとかくらいついたんだ。

心肺でも筋肉でもない。
殻をやぶる気持ちだったんだ。
7年ぶりに会った友達が、走りながら教えてくれた。

下り坂の走り方を覚えた。前を行く背中を追い、弾丸みたいに坂を下った。
足が地面に触れた一瞬だけ力を入れて、あとは、力を抜く。
身体が自然に前に運ばれていく。

人生も、たぶん似たようなものだと思った。

ずっと一人だけで闘うのは、もうやめよう。
半年後、湘南あたりのハーフマラソンを一緒に走る約束をして、僕らはそれぞれの場所へ戻っていった。

2025年11月30日日曜日

多摩川ランナー、馬たちにあいさつされる

 長崎から乗った最終便では、どうやっても富士までその日に帰ることはできない。

だから僕は、川崎に泊まったんだ。

旅のつづきが、もう一話だけ用意されていたような気がした。


そして翌朝5時。

旅の延長線のように、僕はまた走り出した。


調べてみると、多摩川沿いは評判のいいランニングコースらしい。

ならばと六郷橋を渡り、東京側へ。

薄い朝の光が水面に落ちるなか、多摩川沿いをゆっくり下る。

多摩川大橋でまた神奈川に戻り、こんどは川を上っていく。


不意に、遠くから土を蹴る力強い音が聞こえた。

河川敷に目を向けると、馬がいた。

しかも一頭ではない。

朝練なのだろう。

馬が信号を渡り、馬に抜かされ、馬とすれ違い、馬に見送られてまた僕は走り出した。


旅の途中で、こんな朝があるなんて思ってもみなかった。


今日は9km。

昨日16km走ったわりには、足は意外と軽かった。

長崎の夜の余韻と、多摩川の馬たちの鼓動が、まだ身体のどこかで生きている。

2025年11月29日土曜日

冬の学会の朝、僕は透明な光の中で知らない街を好きになっていく

朝5時。

冬の空にはまだ星がいくつか残っていた。

人のいない中華街の門をくぐると、赤い装飾が夜の名残りをそのまま抱えていて、知らない街の静けさというものが、胸の中にゆっくり沈んでいく。


長崎をちゃんと歩く(走る)のは、ほとんど初めてだ。

修学旅行のハウステンボスの記憶は霧のように薄い。

大学院時代、奥さんと熊本旅行に行き、その帰りにフェリーで長崎経由で帰ったことはある。

僕の中では“新婚旅行”のつもりだったが、奥さんは今でも

「新婚旅行にはまだ連れて行ってもらっていない」

と譲らない。

そんな小さな言い合いも、走りながら思い返すとどこかほほえましい。

だからこそ、暗がりの中に見えた長崎の街並みはすべて新しかった。

路面電車の音も、川の匂いも、坂の角度も、初めての土地特有のワクワクで満ちていた。

路面電車沿いに走れば着くと思った平和公園は、逆方向に進んだ僕をあっさり裏切り、辿り着いたのは車庫だった。

正しい道に戻ってからは、明日の空港行きバスの乗り場を確認し、深い夜を抱えたままの原爆資料館を横目に、ようやく平和公園へたどり着いた。

教科書で見た銅像は、思っていたよりずっと大きかった。

名前がどうしても思い出せず、でも、記憶よりも実物のほうが大きく胸に響いて、名前なんて別にどうでもいいと思った。

帰りは海を探しながら走った。

アップルウォッチが途中で息を引き取り(電源が切れ)、足音だけが頼りになる。

そして帰り道、今日の臨床リウマチ学会の会場の「出島メッセ」の前を通った。

足を止めずに建物を眺め、「このあと、ここで発表するんだよな」と思うと、胸の奥が少しだけ熱くなる。

そこからの数キロは、頭の中でスライドをめくりながら走った。

言葉は、走るたびに少しずつ形を変える。


往路は迷い込んでの約8km。復路も寄り道と迷子をくり返しながらの8km。

アップルウォッチの沈黙を考慮しても、おそらく合計16km。

走り終えてホテルに戻ったとき、時計はちょうど2時間を示していた。

数字よりも、その遠回りの分だけ、長崎という街が心の中で大きくなっていった気がした。


冬の学会の朝、僕は透明な光の中で知らない街をゆっくり好きになっていった。

2025年11月9日日曜日

深夜の皇居ラン

先輩との飲みが終わって、品川のホテルに戻ったのは0時半だった。

着替えを済ませ、外に出る。雨は降っていない。

今回の東京でのミッションのひとつは、皇居ランだ。

1周は5キロほど。品川からの往復を入れると15、6キロになるだろう。

ハーフマラソンに向けて、少しずつ距離を伸ばしていく段階にある。


本当は朝に走るつもりだった。

けれど、天気予報では夜明けとともに雨。

だから、深夜に走るしかなかった。

加えて、この時間になるまでの時間が濃密すぎて、走らないと眠れないなってのもあったから。頭はスパークしていた。

少しの不安と、少しの高揚を抱えて、ホテルの自動ドアを抜けた。


東京タワーを目指して走り出したが、地上からはまったく見えなかった。

ビルの隙間を縫い、青い案内標識を頼りに、皇居の方角へ向かう。

街は眠っているようで、実はどこかで静かに呼吸していた。

24時間ジムの灯り、タクシーの尾灯、光らない東京タワー。

深夜の東京には、昼にはない種類のリズムがある。


皇居に着いたとき、すでに心は少し弱っていた。

足は重く、さっき飲んだジンジャー梅酒のソーダ割が、体の中でゆっくり反乱を起こしていた。

引き返してもよかった。

でも、僕は前に進むことを選んだ。


誰もいない深夜の皇居ラン。

広すぎる静けさに心を砕かれそうになりながらも、一周を走りきった。

こんな時間でも、警備員たちは規則正しい間隔で立っている。

眠らない街・東京の輪郭が、そこにはあった。


雨がぽつぽつと落ち始めたころ、ホテルの灯りが見えた。

時計は3時を少し過ぎていた。

17.6キロ。これまでの練習で一番長い距離だった。


東京の夜景を背に、イヤホンから流れるのは、懐かしい槇原敬之とスキマスイッチ。

十代の頃の風景が、音に引き出されるように蘇ってくる。

人生は案外、音楽と同じで、思いがけないタイミングでリフレインする。


走ることは、過去を整理するための、いちばん静かな方法なのかもしれない。

冷え切ったからだを湯船に浮かべてから、長い長い1日を終えた。

坂を登るたびに時間がずれる

東京駅から秋葉原まで、リュックを背負ったまま走った。 そこからさらに四谷のホテルまで走ることにした。距離にして八キロほどだ。目的地は決まっていたけれど、急いでいたわけではない。ただ足を前に出し続けていれば、いつかは着く。走るという行為は、だいたいいつもそういうものだ。 途中、市谷...