2025年12月23日火曜日

HIIT(High-Intensity Interval Training)開始

寒いから、身体をあたためてやろう、という目論見もある。布団から出た瞬間に、それが正解だったのか迷うくらいには寒い朝だ。

3か月後には、もうハーフマラソンを走らなきゃいけない。けれど、十分な時間がとれない日が続く。そこで思いだしたのが、HIITだった。

HIITは、高強度インターバルトレーニング(High-Intensity Interval Training)の略で、短い時間に、あえて息が上がる動きを繰り返す運動だ。長く走れなくても、心肺だけは確実に起こせる。

6分間、12セット。寒さで固まった身体に、「とりあえず起きろ」と直接言い渡す感じがある。ストーブよりも、ずっと正直に身体は温まる。

時間がないからやる。寒いからやる。走れない日が続くから、やる。

今日一日の下準備は整った。

さて、本日のカルテ整理をはじめよう。


2025年12月15日月曜日

河口湖の空はなにも間違えてはくれなかった

富士山チャリティマラソン11㎞を、7年ぶりに再会する親友との待ち合わせ場所にした。
それは、ごく自然な流れだったように思う。

天気は予報通りの雨だった。
河口湖の空はなにも間違えてはくれなかった。

二人とも河口湖周辺の駐車場を取り忘れていた僕らは、家族に応援してもらうのをあきらめ、友達の車で二人だけ早朝にホテルを出て、河口湖駅の二つ手前の富士山駅に車を停めた。

駐車場がなかなか見つからず、電車に間に合うかどうか、40歳にもなる大人二人が見知らぬ地で焦る時間が続いた。友達の卒業旅行がてらに二人で行ったフィジー旅行を思い出した(準備不足で焦ってばっかだった)。

雨がっぱもなかった。
コンビニで買ったゴミ袋に、頭と片腕分の穴をあけて被った。
奇妙な姿だったが、選択としては正しかった。

スタートしてから、それを脱ぎ捨てたときにわかった。
ゴミ袋は、驚くほどあたたかかった。
雨をはじき、熱を逃がさない。
厚さ0.1mmの、人生でいちばん信頼できる防寒具だったかもしれない。

最初の5㎞は並んで走った。
友達はアップルウォッチの電源が切れていて、1㎞ごとに僕がペースを伝えた。
7㎞あたりから、少しずつ友達の背中が遠くなっていった。

ただ、これまでのレースではくじけていただろうタイミングで、今回はくじけそうなとき、前に友達がいるというだけで、足が出た。

30mほどの差で、友達が先にゴールした。
なんとかくらいついたんだ。

心肺でも筋肉でもない。
殻をやぶる気持ちだったんだ。
7年ぶりに会った友達が、走りながら教えてくれた。

下り坂の走り方を覚えた。前を行く背中を追い、弾丸みたいに坂を下った。
足が地面に触れた一瞬だけ力を入れて、あとは、力を抜く。
身体が自然に前に運ばれていく。

人生も、たぶん似たようなものだと思った。

ずっと一人だけで闘うのは、もうやめよう。
半年後、湘南あたりのハーフマラソンを一緒に走る約束をして、僕らはそれぞれの場所へ戻っていった。

2025年11月30日日曜日

多摩川ランナー、馬たちにあいさつされる

 長崎から乗った最終便では、どうやっても富士までその日に帰ることはできない。

だから僕は、川崎に泊まったんだ。

旅のつづきが、もう一話だけ用意されていたような気がした。


そして翌朝5時。

旅の延長線のように、僕はまた走り出した。


調べてみると、多摩川沿いは評判のいいランニングコースらしい。

ならばと六郷橋を渡り、東京側へ。

薄い朝の光が水面に落ちるなか、多摩川沿いをゆっくり下る。

多摩川大橋でまた神奈川に戻り、こんどは川を上っていく。


不意に、遠くから土を蹴る力強い音が聞こえた。

河川敷に目を向けると、馬がいた。

しかも一頭ではない。

朝練なのだろう。

馬が信号を渡り、馬に抜かされ、馬とすれ違い、馬に見送られてまた僕は走り出した。


旅の途中で、こんな朝があるなんて思ってもみなかった。


今日は9km。

昨日16km走ったわりには、足は意外と軽かった。

長崎の夜の余韻と、多摩川の馬たちの鼓動が、まだ身体のどこかで生きている。

2025年11月29日土曜日

冬の学会の朝、僕は透明な光の中で知らない街を好きになっていく

朝5時。

冬の空にはまだ星がいくつか残っていた。

人のいない中華街の門をくぐると、赤い装飾が夜の名残りをそのまま抱えていて、知らない街の静けさというものが、胸の中にゆっくり沈んでいく。


長崎をちゃんと歩く(走る)のは、ほとんど初めてだ。

修学旅行のハウステンボスの記憶は霧のように薄い。

大学院時代、奥さんと熊本旅行に行き、その帰りにフェリーで長崎経由で帰ったことはある。

僕の中では“新婚旅行”のつもりだったが、奥さんは今でも

「新婚旅行にはまだ連れて行ってもらっていない」

と譲らない。

そんな小さな言い合いも、走りながら思い返すとどこかほほえましい。

だからこそ、暗がりの中に見えた長崎の街並みはすべて新しかった。

路面電車の音も、川の匂いも、坂の角度も、初めての土地特有のワクワクで満ちていた。

路面電車沿いに走れば着くと思った平和公園は、逆方向に進んだ僕をあっさり裏切り、辿り着いたのは車庫だった。

正しい道に戻ってからは、明日の空港行きバスの乗り場を確認し、深い夜を抱えたままの原爆資料館を横目に、ようやく平和公園へたどり着いた。

教科書で見た銅像は、思っていたよりずっと大きかった。

名前がどうしても思い出せず、でも、記憶よりも実物のほうが大きく胸に響いて、名前なんて別にどうでもいいと思った。

帰りは海を探しながら走った。

アップルウォッチが途中で息を引き取り(電源が切れ)、足音だけが頼りになる。

そして帰り道、今日の臨床リウマチ学会の会場の「出島メッセ」の前を通った。

足を止めずに建物を眺め、「このあと、ここで発表するんだよな」と思うと、胸の奥が少しだけ熱くなる。

そこからの数キロは、頭の中でスライドをめくりながら走った。

言葉は、走るたびに少しずつ形を変える。


往路は迷い込んでの約8km。復路も寄り道と迷子をくり返しながらの8km。

アップルウォッチの沈黙を考慮しても、おそらく合計16km。

走り終えてホテルに戻ったとき、時計はちょうど2時間を示していた。

数字よりも、その遠回りの分だけ、長崎という街が心の中で大きくなっていった気がした。


冬の学会の朝、僕は透明な光の中で知らない街をゆっくり好きになっていった。

2025年11月9日日曜日

深夜の皇居ラン

先輩との飲みが終わって、品川のホテルに戻ったのは0時半だった。

着替えを済ませ、外に出る。雨は降っていない。

今回の東京でのミッションのひとつは、皇居ランだ。

1周は5キロほど。品川からの往復を入れると15、6キロになるだろう。

ハーフマラソンに向けて、少しずつ距離を伸ばしていく段階にある。


本当は朝に走るつもりだった。

けれど、天気予報では夜明けとともに雨。

だから、深夜に走るしかなかった。

加えて、この時間になるまでの時間が濃密すぎて、走らないと眠れないなってのもあったから。頭はスパークしていた。

少しの不安と、少しの高揚を抱えて、ホテルの自動ドアを抜けた。


東京タワーを目指して走り出したが、地上からはまったく見えなかった。

ビルの隙間を縫い、青い案内標識を頼りに、皇居の方角へ向かう。

街は眠っているようで、実はどこかで静かに呼吸していた。

24時間ジムの灯り、タクシーの尾灯、光らない東京タワー。

深夜の東京には、昼にはない種類のリズムがある。


皇居に着いたとき、すでに心は少し弱っていた。

足は重く、さっき飲んだジンジャー梅酒のソーダ割が、体の中でゆっくり反乱を起こしていた。

引き返してもよかった。

でも、僕は前に進むことを選んだ。


誰もいない深夜の皇居ラン。

広すぎる静けさに心を砕かれそうになりながらも、一周を走りきった。

こんな時間でも、警備員たちは規則正しい間隔で立っている。

眠らない街・東京の輪郭が、そこにはあった。


雨がぽつぽつと落ち始めたころ、ホテルの灯りが見えた。

時計は3時を少し過ぎていた。

17.6キロ。これまでの練習で一番長い距離だった。


東京の夜景を背に、イヤホンから流れるのは、懐かしい槇原敬之とスキマスイッチ。

十代の頃の風景が、音に引き出されるように蘇ってくる。

人生は案外、音楽と同じで、思いがけないタイミングでリフレインする。


走ることは、過去を整理するための、いちばん静かな方法なのかもしれない。

冷え切ったからだを湯船に浮かべてから、長い長い1日を終えた。

2025年11月2日日曜日

ハーフマラソンのエントリーボタンを押しながら、頭の中ではもうハワイの空を見上げていた

 大井川マラソンを走って、ひとつのことがわかった。

10㎞の壁は、もうない。


半年前は、10㎞という言葉を聞くだけで、胸の奥がざわついた。

走ったことのない距離という未知が、いつも足を重くしていた。


でも、今回の10㎞は違った。

息が上がっても、足が痛んでも、立ち止まる理由を探さなくなっていた。


少しずつ、身体が“走ること”に慣れてきたのかもしれない。

あるいは、心のほうがようやくついてきたのかもしれない。


年末の河口湖も10㎞だ。

それはそれで楽しみだけれど、

同じ距離を走っているだけでは、季節が巡っても、自分の中の何かは動かない気がした。


だから、次のステップへ進むことにした。

次は――ハーフだ。


少し遠くへ行ってみたいと思った。

知らない風を吸って、知らない街を走ってみたい。


そして見つけたのが、三浦国際市民マラソン(2026年3月1日)。

海の近くのコースらしい。

ホノルルマラソンの姉妹大会でもあるという。

完走者の中から抽選で、ホノルルマラソンに招待されるらしい。


順位じゃなくて、抽選。

それなら当たるかもしれない。

みんな、そんなふうに思いながらエントリーするんだろう。


あの海の風の中で、

自分の足音がどんな音になるのか、

それを確かめてみたい。


まだエントリーしただけなのに、もうパスポートを探している。

2025年10月28日火曜日

今日の空は、僕のためにひとつだけ間違えてくれた。大井川の河川敷を10㎞走る。

 天気予報は雨だった。

僕は大井川の河川敷のスタート地点に立っていた。


曇り空の向こうに、なぜか陽が差していた。

風はやや強く、湿気を含んでいる。思っていたよりも重い空気だ。


スタートの合図とともに、人の波がゆっくりと動き出す。

10キロという距離は、今の僕にとって長くも短くもない。


東日本国際マラソンから半年。

あのとき感じた10キロへの恐怖は、もうほとんど残っていない。


呼吸のリズムを探し、足音のあいだに自分の体の音を聴く。

いつものように、考えすぎないようにと自分に言い聞かせながら。


思いのほか足取りは軽い。スタートから次々に人を抜かしていく。

けれど、はやくも息が上がる。

この半年、僕は心肺よりも関節可動域の拡張や筋肉の伸長を優先してきた。

ないがしろにされた心肺は、あっさりと悲鳴をあげた。


2キロ、3キロ、そして5キロ。

少しずつ、抜いたランナーに抜かされていく。


大井川の水面は鈍い銀色で、遠くの橋の上にはまだ観客がいた。

折り返し地点を過ぎ、すれ違うランナーの表情は、それぞれに物語を持っている。


途中で時計を見るのをやめた。

数字ではなく、ただ走ることそのものに集中したくなったからだ。


イヤホンがお気に入りの音楽のあいだで、1キロごとの平均ペースを告げる。

5キロを過ぎても、6分を超えないように、少しずつ減速していく。

目標は1時間で戻ること。

スタートダッシュの貯金があるおかげで、ペースにはまだ余裕がある。

少しの力を残して、前へ、前へと進む。


そして9キロで、イヤホンが「平均ペース5分59秒」と告げた。

僕は最後のエンジンに火をともした。


余力を残していたつもりだった最後のエンジンは、ガラクタだった。

なかなか動かず、頭がくらくらする。

59分50秒でゴールラインを超えた。


ゴールの向こうで、曇天が少しだけ明るくなっていた。

天気予報は外れた。

今日の空は、僕のためにひとつだけ間違えてくれた。

坂を登るたびに時間がずれる

東京駅から秋葉原まで、リュックを背負ったまま走った。 そこからさらに四谷のホテルまで走ることにした。距離にして八キロほどだ。目的地は決まっていたけれど、急いでいたわけではない。ただ足を前に出し続けていれば、いつかは着く。走るという行為は、だいたいいつもそういうものだ。 途中、市谷...