2025年6月28日土曜日

とまらない

右足のMTP関節が痛くなって、ずいぶん休んでしまった。

痛みがどうとかではなく、ただ「走れない」という事実があって、そこに理由はあとから貼りついてきただけのように思う。

休んでいたあいだ、いろんな音がよく聴こえるようになった。

車のタイヤがアスファルトをなでる音とか、朝の空気の隙間にまぎれこんでくる鳥の声とか、あるいは自分の中で何かが擦れているような気配とか。

人は休むと、走っていたときよりも静かに孤独になる。でも、それが必ずしも悪いことじゃないと僕は思う。

まだ少し痛い。

でも、痛みはもう「主語」ではなくて、「形容詞」くらいの存在になってきた。

そういうときにやれることを探す。

走れないなら、関節をひらく。

伸びることはできる。呼吸することもできる。

今日から、関節可動域を広げる初動負荷トレーニングをはじめることにした。

それは派手でも刺激的でもないし、だれかに話したくなるような類の話ではないかもしれない。

でも、自分の中で「とまらない」ための方法として、これは悪くない。

僕はよく考える。

何かをやめることと、何かを終わらせないことは、まったく別の話だ。

たとえケガをしていたとしても、僕のなかで走ることはまだ終わっていない。

おわらせないかぎり、ぼくはとまらない。

坂を登るたびに時間がずれる

東京駅から秋葉原まで、リュックを背負ったまま走った。 そこからさらに四谷のホテルまで走ることにした。距離にして八キロほどだ。目的地は決まっていたけれど、急いでいたわけではない。ただ足を前に出し続けていれば、いつかは着く。走るという行為は、だいたいいつもそういうものだ。 途中、市谷...