右足のMTP関節が痛くなって、ずいぶん休んでしまった。
痛みがどうとかではなく、ただ「走れない」という事実があって、そこに理由はあとから貼りついてきただけのように思う。
休んでいたあいだ、いろんな音がよく聴こえるようになった。
車のタイヤがアスファルトをなでる音とか、朝の空気の隙間にまぎれこんでくる鳥の声とか、あるいは自分の中で何かが擦れているような気配とか。
人は休むと、走っていたときよりも静かに孤独になる。でも、それが必ずしも悪いことじゃないと僕は思う。
まだ少し痛い。
でも、痛みはもう「主語」ではなくて、「形容詞」くらいの存在になってきた。
そういうときにやれることを探す。
走れないなら、関節をひらく。
伸びることはできる。呼吸することもできる。
今日から、関節可動域を広げる初動負荷トレーニングをはじめることにした。
それは派手でも刺激的でもないし、だれかに話したくなるような類の話ではないかもしれない。
でも、自分の中で「とまらない」ための方法として、これは悪くない。
僕はよく考える。
何かをやめることと、何かを終わらせないことは、まったく別の話だ。
たとえケガをしていたとしても、僕のなかで走ることはまだ終わっていない。
おわらせないかぎり、ぼくはとまらない。