ごはんの上に、卵の黄身がすっと溶けていくのを見ていると、自分の輪郭も少しずつ溶けていく気がした。卵かけごはんを食べたのは、診療がすべて終わって、時計の針が少しだるそうに夜を指し示している頃だった。食べたというより、飲み込んだ、という方が近いかもしれない。流れるように。
そのあと、リウマチについての解説動画を一本つくった。声のトーンに気をつけて、言葉を選びながら、必要なことだけを残した。いくつかの言葉は手のひらで転がすようにして捨てた。言葉を選ぶけれど、どれだけ削っても、余計な語尾が残ってしまう。僕の語彙には、無駄な感情がよく紛れ込む。
そして僕は、走りに出た。トレイルラン。そう、岩本山のトレイルランだ。自分のなかではちょっと格好をつけた呼び名だけれど、口に出さなければ誰にもばれない。トレイルランという言葉は、どこか自分には似合わない気がして、それでも使ってみたくなる。ロードを走りながら、岩本山の今まで入ったことのない入口へ足を向けた。暗かった。想像以上に。
月の光が、思っていたより明るかったのが、逆に不安だった。明るすぎる場所では、見えてはいけないものが浮かび上がってしまう。足元は見えない。目に映るのは、輪郭を失った木々と、自分の呼吸だけだった。
道は、どんどん細くなっていく。その分、僕の不安も濃くなっていった。くまが出たらどうしよう。滑って転んで、誰にも見つけてもらえなかったらどうしよう。心のなかで声がいくつも重なって、どれが本物の自分の声かわからなくなっていく。
ガサガサっという音がした。風だったのか、それとも小動物の足音だったのか。あるいは、自分の中の「引き返したい」が音になって現れただけかもしれない。
僕は、撤退した。それは臆病でも、敗北でもなかった。ただの、撤退だった。
それを恐怖と呼ぶのか、判断と呼ぶのか、いまはまだ決められない。ただ、月だけが、何も責めずに、同じ光を投げかけていた。ときどき、人は月の光に照らされて、自分の境界線を知る。
【昨日のランニング】4.67km
【前回大会からの総練習距離】75.97km
★6月の総ランニング 11.79㎞
★5月の総ランニング 58.2㎞