2025年5月30日金曜日

“走れなかった”が、走る理由になる日

さっき、走り終えて、今。

いつもと同じ場所で靴ひもを解きながら、僕はApple watchのボタンを押す。ランニング完了。NIKE RUN CLUBのアプリが、さっき走った距離を淡々と表示している。4.7km。月の累計は50㎞をようやく超えた。5月のチャレンジは、100kmには遠く及ばなかった。

でも、なぜか不思議と、走れなかった距離よりも、いま走れた距離のほうに目がいく。そういう日も、ある。

5月の初め、僕は走れなかった。

正確に言えば、走りたい気持ちはあった。でも体がついてこなかった。4月末に出場した人生初の10kmマラソンを、僕は不器用なまでに本気で走ってしまい、終わった瞬間から何かが抜けた。体も、心も、ぐにゃりと曲がったまま、数週間を過ごした。

中旬に差しかかったころ、ようやく呼吸が整うようになった。足も軽くなった。けれど、なかなか外に出られなかったのは、走るという行為が、思っていた以上に“前向きすぎた”からかもしれない。前に進む準備ができていない自分を、アプリの記録は無言で見つめ続けた。

NIKE RUN CLUBのアプリは、優しくも冷たい。

「今月のチャレンジ:100km」

走っても走らなくても、静かにそこにある。メダルのような達成バッジも、当然まだ空白のままだ。けれど、それすらも、今の僕にはちょうどよかった。達成しない自由というのも、きっとある。

今日、僕はようやく50kmを超えた。

ほんのすこしだけ、胸の奥で何かが鳴ったような気がした。満ち足りたわけじゃない。でも、帳尻が合ったような、そんな音だった。

6月になれば、また新しい100kmが始まる。達成できるかはわからない。でも、5月のこの50kmは、僕が僕を裏切らなかった証として、アプリの履歴にちゃんと残っている。それでいい。いや、いまは、それがすべてだ。

明日もまた、走れるとは限らない。でも、走れなくても、このアプリは待っていてくれる。ときどき、誰かよりも、テクノロジーの方が信じられる瞬間がある。そういうときのために、走っているのかもしれない。

明日、僕が走らなくても、アプリはなにひとつ変わらずそこにいる。誰かに励まされるよりも、何も言わない数字に救われることがある。それは、信じるというよりも、預けている感覚に近い。

 【今日のランニング】4.70km

【前回大会からの総練習距離】64.18km

試行錯誤

ぼくは今、174センチで70キロある。BMIで言えば23.1。まあ、数字としてはそれほど悪くない。けれど、悪くないということと、ちょうどいいということの間には、いつだって見えない谷間がある。 減らしてみようと思った。筋肉はそのままで、脂肪だけをうまく手放して。目安は65キロ。BM...