2025年8月13日水曜日

軽くなった負荷が語ること

以前は懸垂を補助なしでやっていた。7回やって、少し休んで、3回。一日の懸垂はそれで終わり。数にすれば10回だけど、その10回は、錆びついたシャッターを全身で引き上げるような、重くて少し粘る感触だった。

最近は補助バンドを使っている。ゴムの張力に体を預けるのは、最初は少し頼りない気がしたけれど、10回を3セット、持ち方を3通りに変えてやってみると、背中や肩のまだ使い慣れていない筋肉が、自分の存在を思い出したみたいに反応してくる。

普通なら、負荷をどんどん上げていくのかもしれない。でも、最近の僕は少し違う。初動負荷トレーニングを続けて、いろいろな筋肉や関節の使い方を知った。だから今は、重さよりも、いろいろな筋肉に刺激を与えることのほうに興味がある。

負荷は軽くなったはずなのに、運動量は増えているだろう。それはちょうど、深煎りのコーヒーを一口だけ飲むのと、カフェインレスのコーヒーをゆっくりマグカップで飲む違いに似ている。どちらも満たされるけれど、効き方が違う。

重ければいいというわけじゃない。軽くして、回数やバリエーションを増やすことで、今まで感じなかった景色が見えてくることもある。

たとえば、車で通り過ぎるだけだった道端に、季節ごとに色を変える木があったことに気づくみたいに。

坂を登るたびに時間がずれる

東京駅から秋葉原まで、リュックを背負ったまま走った。 そこからさらに四谷のホテルまで走ることにした。距離にして八キロほどだ。目的地は決まっていたけれど、急いでいたわけではない。ただ足を前に出し続けていれば、いつかは着く。走るという行為は、だいたいいつもそういうものだ。 途中、市谷...