2025年8月27日水曜日

10kmより遠いのは宿の相談

年末に河口湖の10kmマラソンを走る。

もうエントリーは済ませていて、あとは宿を決めるだけだ。


一緒に走るのは高校時代の親友。

彼の奥さんは、僕にとって大学時代の親友だ。

だから、二人に会うと不思議な感覚になる。

「友達の夫婦」でもあり「それぞれに昔からの親友」でもある。

線を引いて考えようとしても、どこかで交わってしまう。


何年も会っていなくても、不思議と緊張しない。

空白を埋めようとしなくても、もうすでに埋まっている。

その気楽さに甘えながら、ただ「久しぶり」と言葉を交わすだけで十分なのだ。


マラソンは口実みたいなものかもしれない。

でも、走るための約束があるから、僕らは再び集まれる。

エントリーを済ませた瞬間から、その未来は確実に動き出している。


10kmは、数字にすればささやかな距離だ。

けれど、久しぶりに会う友と、その家族と僕の家族が並んでいる風景を想像すると、

その距離はただの「10km」以上のものになる。


年末の冷たい空気を吸い込んで、僕らはスタートラインに立つ。

その横顔に、十代の僕や、大学時代の僕が重なって見える。

そしてゴールの先では、今の僕らが笑っているはずだ。


――そんな未来を思いながら、宿の相談をLINEで続けている。

でもやっぱり、なかなか決まらない。

昔から高校時代の親友は優柔不断なんだ。


結局、「もう奥さんに決めてもらって」と、むこう側に丸投げしてしまった。

でも、大学時代の親友も優柔不断なんだよなー。

2025年8月17日日曜日

東日本国際マラソン10km回顧録06 完結編

  2周目のコースに入ったとき、身体の奥に眠っていた何かが、少しずつ目を覚ますような感覚があった。呼吸は荒い。心拍数も上がっている。けれど、それを押しとどめようとする理性よりも、「ここからだ」という気持ちが強かった。

 前方に、さっきまで一緒に流れていた集団の背中が見える。距離はある。でも、まったく追いつけないほどではない。少しずつ、少しずつ、呼吸のリズムを刻み直して、脚を運ぶ。ペースを上げるというのは、たんにスピードを出すことではなく、脚の動きを信じることに近かった。

 折り返し地点をすぎると、案の定、向かい風が待っていた。頬にあたる風は、鈍い抵抗のかたまりのように立ちはだかる。脚の重さが一気に増す。ここで失速するのは簡単だった。けれど、僕はほんの少しだけ身体を前に傾け、腕を強めに振った。風を切るのではなく、風に体を溶け込ませるようにして進む。

 残り2km。

 ここからが本当の勝負だった。呼吸は苦しい。脚の裏側に、いつ攣ってもおかしくない緊張感が走る。それでも、沿道からの拍手や声援が、何度も背中を押してくれた。見知らぬ誰かの「がんばれ」という声が、驚くほど力になる。自分が走っているのは、自分のためだけじゃない。そう思える瞬間が、マラソンにはある。

 2週目は、抜かされるよりも抜かしてみせることができた。

 ゴールが見えたとき、胸の奥に残っていた最後の力を振り絞った。もう限界だ、と思いながらも、脚は止まらなかった。フィニッシュラインを越えた瞬間、時計を見るよりも先に、息を大きく吐き出した。

 ゴールラインを越えた瞬間、Apple Watchの数字は「59分台」。練習でも一度も切れなかった60分を、ぎりぎりとはいえ越えることができた。わずかな差であっても、それは努力ではなく執念が連れてきた一歩だった。

 その余韻のまま直行した水飲み場で、しばらく立ち尽くした。冷たい水が喉を滑り落ちていく感覚だけが現実で、それ以外は霞んでいた。その間に、ゴールで応援してくれていた家族の姿を見失ってしまった。歓声と人波のなかで、すぐ近くにいたはずの存在が、ふっと遠のいていった。少し寂しかったが、それもまたマラソンという場の不思議な余韻なのかもしれない。

 ようやく家族と合流し、みんなで近くの銭湯へ向かった。露天風呂に肩まで沈め、空を仰ぐ。達成感と疲労が、湯気のなかにほどけていった。僕がゆっくりつかりたかったので、息子が露天風呂でそろそろでる?って聞いてきた時にあとちょっとだけ入ってていい?って言ってちょっと長風呂したんだ。

 けど、夕食の席で、息子は箸をほとんど進めなかった。帰宅後に高熱が出ていることがわかり、ようやく僕は気づいたんだ。あの日、炎天下で体調が悪いにもかかわらず、息子はずっと応援してくれていたのだ。

 そのことを思うと、胸がぎゅっと締めつけられる。きっと一生、忘れられないだろう。

 最高に忘れがたい「最初のマラソン」だった。

2025年8月13日水曜日

軽くなった負荷が語ること

以前は懸垂を補助なしでやっていた。7回やって、少し休んで、3回。一日の懸垂はそれで終わり。数にすれば10回だけど、その10回は、錆びついたシャッターを全身で引き上げるような、重くて少し粘る感触だった。

最近は補助バンドを使っている。ゴムの張力に体を預けるのは、最初は少し頼りない気がしたけれど、10回を3セット、持ち方を3通りに変えてやってみると、背中や肩のまだ使い慣れていない筋肉が、自分の存在を思い出したみたいに反応してくる。

普通なら、負荷をどんどん上げていくのかもしれない。でも、最近の僕は少し違う。初動負荷トレーニングを続けて、いろいろな筋肉や関節の使い方を知った。だから今は、重さよりも、いろいろな筋肉に刺激を与えることのほうに興味がある。

負荷は軽くなったはずなのに、運動量は増えているだろう。それはちょうど、深煎りのコーヒーを一口だけ飲むのと、カフェインレスのコーヒーをゆっくりマグカップで飲む違いに似ている。どちらも満たされるけれど、効き方が違う。

重ければいいというわけじゃない。軽くして、回数やバリエーションを増やすことで、今まで感じなかった景色が見えてくることもある。

たとえば、車で通り過ぎるだけだった道端に、季節ごとに色を変える木があったことに気づくみたいに。

2025年8月8日金曜日

昼休みのシャワーと遠藤保仁

体重が69.5kgになった。ちょうど1ヶ月で0.5kgの減量。

この0.5という数字には、夜の炭水化物を我慢した日や、ふくらはぎの張りを感じながらの初動負荷トレーニングの積み重ねが詰まっている。

最近は、ただ黙々と身体と向き合う時間が増えた。初動負荷という言葉の中には、最初の一歩のような響きがある。大げさだけど、筋肉のトレーニングをしているのではなく、人生の準備体操をしているような気分になるときがある。

そして今日、クリニックにシャワー室が設置された。冷水"しか"出ないちゃんとしたやつだ。業者の人が最後に蛇口をひねって水を流したとき、僕は黙ってそれを眺めていた。そこには、希望の水滴が眩しく光った。たぶん、人生で「シャワー室を設置した日」が何日もある人なんて、そう多くないだろう。

遠藤保仁が試合のハーフタイムにシャワーを浴びるっていうのは有名な話。ヤットさんが、無言でシャワーを浴びて、濡れた髪のまま後半に向かうユニフォーム姿は、スタジアムにでた瞬間にゲームを支配するんだ。僕はずっとそれがやりたかった。

明日の昼休み。僕は誰にも言わず、シャワー室に向かう。水が首筋に当たった瞬間、身体の中の酸素が冷えて息が苦しくなるかもしれないし、何かがリセットされるかもしれない。その瞬間を想像するだけで、今日は眠れない。

午後の外来も、初動負荷トレーニングも、体重の0.5kgも、すべてがこの「明日のハーフタイムの冷水シャワー」の伏線だったんじゃないかと思えてくる。

そんな真夏の夜。

坂を登るたびに時間がずれる

東京駅から秋葉原まで、リュックを背負ったまま走った。 そこからさらに四谷のホテルまで走ることにした。距離にして八キロほどだ。目的地は決まっていたけれど、急いでいたわけではない。ただ足を前に出し続けていれば、いつかは着く。走るという行為は、だいたいいつもそういうものだ。 途中、市谷...